大好きなバンドがまだ活動していた頃は、年に二回は必ず地元でライブがあって、それを楽しみにまあ生きるか、と思えていたけど、実質解散の活動休止になってからは大好きな何かが何も無くなってしまった。

インド映画にハマったり、編み物をしてみたりしたけれどこれがあるから死ねないなというものにはならなかった。

行ってみたい場所も食べてみたいものもやってみたいこともたくさんあるけれど、どれも死にたい気持ちを上回ることがない。

 

狭い路地歩いてる途中後ろからものすごくゆっくり車が来て避けようと思って身体捻ったらよろけて路肩の雪山に突っ込んでしまった。運転してた女の人がごめんねって感じでぺこぺこしてくれて、こちらこそ私の体幹がゴミだったせいで無駄に気を使わせてしまってごめんねの気持ちでぺこぺこした。

3年ぐらい前の大晦日に親から仕事の話をされて、今その話したくないと言ったのに詰められて泣いてトイレにこもって死にたいと言った時から両親との関係は前より確実に綻んだと思う。

今は綻びをお互いに見ないふりして恐る恐る接していると思う。

 

私の自傷行為で両親は一生消えない十字架を背負ったんだって。

なんだそれ(笑)

 

 

沖縄旅行で買ったグラスをシンクにあったボウルの上に落としてしまいどちらも割れてしまった。

中学生か高校生だった頃、母親が洗い物の最中に私のグラスを割ってしまったと謝ってきたことがあった。テスト期間中だったからと、事後報告だった。記憶の中の私は、悲しい気持ちを抑えつつ、仕方がないよそんなこともあると答えたけど、果たして上手く言えていたのか。

割れたグラスは、アランジアロンゾのクリスマス限定の詰め合わせかなんかに入っていた家畜ファイブというやや攻めた名前の物だった。

久しぶりにカルピスを飲んだ。

お祝いの日には必ずカルピスがあった。甘エビのお寿司を食べた後のカルピスの味を鮮明に思い出す。

 

茹でうどんをカゴに入れたことを忘れて冷凍の讃岐うどんも買ってしまった。

 

サッカー台で袋詰めをしていると後ろで大きな音が鳴り、誰かが重たいものでも落としたのだろうと振り向きもしなかったが、大丈夫ですかの声で人が倒れたのだと気がつく。

店員さんの呼びかけにも全く応じていないようだった。

 

YouTubeでおすすめに出てきた障害者のドキュメンタリー番組をみた。

その子は幼少期に窒息したことが障害を抱える原因になったと言っていて、思い出した。

私もおもちゃのコインを飲み込んで窒息しかけたことがあったらしいと母が話してくれた事を。

幸い母がすぐそばにいて、私の足首をまとめて片手で持ち、逆さまにして背中をバシバシ叩くと吐き出し事なきを得たそう。

奇跡だね。